2008年4月。フリーランスのライターになって2年を迎えた私のもとに、海外取材の話が舞い込んできました。
取材で海外へ行くことは編集者時代にも経験はなく、まさか独立してそんな機会に恵まれるとは夢にも思っていませんでした。はじめての海外取材に、緊張はありながらも小躍り気味で喜ぶ私。
取材先はグアム。現地に発つ前には、掲載媒体の編集チーフさんと打ち合わせがありました。一緒に行くことはできないけれど、代わりに同社のカメラマンが編集担当として同行するとのこと。私は“ライターとして”仕事を請け負いました。
取材・撮影日程は3泊4日、誌面ボリュームは10ページ。私は現地での取材および記事執筆、タイトルリード(導入文)や各カテゴリーリードなど、全ページの原稿を担当することになりました。
大学の卒業旅行でタイに行ったことしかない、海外ビギナーだった当時の私。常夏の島・グアムと言えば、どこまでも明るく、元気をもらえそうなイメージしかありませんでした。
この取材が始まる前までは…。
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取材先は、カフェバー、文化遺産、ゴルフ場、ホテルなど。現地で通訳ガイドがついていたか記憶はあいまいですが、日本で行っているほど深い取材はできなかったことを覚えています。リアルなグアムの雰囲気をしっかりと記事に反映できるよう、私なりに「肌で感じる」ことを意識し、現地の人々や観光客、街並みなどを注意深く観察していました。
現地ではカメラマン(編集担当)と私のほか、広告主となる旅行会社の担当さん、モデルさん2人と行動。旅行会社の担当さんとモデルさん2人とは意気投合し、取材の合間に写真を撮ったり、滞在したホテルでハワイの正装・ムームーを着て無駄にファッションショーをしてみたり、ビーチで遊んだり…とても楽しく過ごしました。
ただ肝心のカメラマンとは、次第にうまくいかなくなりました。その最たる原因は、掲載写真の内容や誌面構成など、編集にかかわる内容の決定権を“さりげな~く”私にゆだねようとしてきたから。
「何かがおかしい」と感じ、「ラフ(誌面イメージ)作ってませんでしたっけ?」「編集チーフさんは何て言ってたんですか?」と聞いてみると「なんか現場で決めてくださいって言われてて…僕も困ってるんですよね…」と、出るわ出るわ不満の嵐。挙句の果てには「この仕事が終わったら会社辞めようと思ってるんです」とまで暴露され、開いた口がふさがらない。
依然として編集的な判断を任せようとしてきたため、「そういったご依頼ならば編集料もいただきたいのですが、よろしいですか⁉」と語気も強めに交渉。当時は「私なんぞが」という気持ちがあって先方が提示した報酬をそのまま受け入れることが多かったものの、「ここはビシッと言わなければ、大変なことになる…!」と危機感が圧勝。
それからの彼は人が変わったようにそっけなくなり、不満も影を潜めました。まるで心の扉をパタッと閉じたような。グアムに到着した夜は制作チーム全員でごはんを食べに行くなど、一丸となっていたのですが…。
そういえば、その時レストランで食べた「シーザーサラダ」が衝撃的に不味かった。せっかくの海外にもかかわらず、すっかり食欲をなくしてあまり食べなくなってしまったため、常にひもじくしていた4日間でした。せっかくの海外なのに、もったいなかった。
楽しく、ほろ苦くもあるグアムでしたが、大きなトラブルはなく取材は終了。
そして今、無事に発行された当時のトラベルマガジンを押し入れで見つけたのです。「なんだかんだ大変な取材だったけど、今ではいい思い出だなぁ」としみじみ。
ひとつ気になるのは、あの彼のこと。今は楽しく働いているといいのですが。
おわり
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